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2013.11.11

東京オリンピックへの期待。

長友啓典(クリネタ編集長 / アートディレクター)

先日、2020年の東京オリンピックが決定した。深夜4時頃に目覚め、そのままライブで見てしまった。高円妃久子殿下の挨拶にいたく感動した。石原慎太郎都知事がオリンピック招致を揚げて孤軍奮闘していた頃からの念願叶ってのことだから関係者諸氏にとってはことの外喜ばしい瞬間であったであろう。

思い起こせば1964年の東京オリンピックは丁度ボクがデザイン学校を卒業し、亀倉雄策先生率いるデザイン制作会社に就職した年に開催された。当時新宿駅前の旅館に(連れ込み宿、今でいえばラブホだ)に住んでいた。ぷらぷらと歩きながら(その頃からアササンをしていた)会社に往く道すがら上空を見上げると自衛隊の飛行隊ブルーインパルスの描く五輪の雲がくっきりと青い空に描かれていた。感動的な幕開け(開会式)を記憶している。

ボク達の業界(グラフィックデザイン)で言えば、亀倉雄策先生のオリンピックポスターが評判となり、日本のグラフィックデザインが亀倉先生と共に世界的に評価された。お陰さまで図案家と言われ、商業デザインと呼ばれていたのがグラフィックデザイナーとかアートディレクターとか呼称され、市民権を得るようになった記念すべき行事であったと言えるだろう。

そのポスターの絵柄と言えば、陸上のスタートダッシュを見る写真の瞬時を捕らえた素晴しい写真となった。そして、水泳選手が力泳する姿も水滴がほとばしる一瞬だ。この写真術は今でこそ当たり前となっているストロボを駆使したものである。当時の日本ではストロボは数少なく、東京中のスタジオからストロボをかき集めたということでスタジオの仕事が麻痺をしてしまい仕事がストップしてしまったという話がまことしやかに言い伝わっているほどだ。

映画も市川崑監督が「東京オリンピック」を撮った時の機材が超望遠レンズであり、その高速撮影が世間を驚かせた。新しい映像を提供してくれた。丹下健三の国立代々木競技場も画期的なものであった。新幹線が出来た。ボクが上京して来た時は一番速くて9時間もかかったのに、夢の超特急はなんと4時間となった(今や2時間半)。住宅問題、道路事情がオリンピックを境に一変した。

2020年も同じことを期待するのには、東京は成熟し過ぎているかも知れないが、少なくとも子どもたちがスポーツの素晴しさに目覚め、グラフィックデザイン等のクリエイティブなところに目をやって、そこを目指すようになってくれれば、色々取り沙汰されている東京オリンピックの意味も多少は見つけられることだろう。

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