【ウィークリーネタ】 毎週月曜日更新中!

2014.04.28

胸にポッカリ空いた2つの穴。

長友啓典(クリネタ編集長 / アートディレクター)

このところ立て続けにボクの周りの人が鬼籍に入られた。お一人はイラストレーターの安西水丸さんである。この忙しいさなか東京イラストレーターズ・ソサエティーの理事長の任を自らお引き受けになり、後輩達の面倒を見ておられた。

安西水丸氏は同世代である。堅苦しい敬語はヤメにしてお話したい。ボクが「御茶の水美術学院」という美術学校の予備校に通いはじめた頃(1959年)、詰め襟姿の安西くんと出会った。ということは、この業界(デザイン)で一番古い友人である。まだ大阪弁が今日のように全国区でなく、単なる方言としてしか見られていなかった時代だ。TVの普及が遅れ、まだラジオが盛んであった。大阪弁の放送は「お父さんはお人好し」でなんと花菱アチャコと浪花千栄子さんである。安西くんは当時本名の渡辺くんであった。後年、嵐山光三郎さんの命名にてペンネームとなるが、その頃は「渡辺くんの絵は面白いなぁ」と話していたほどだ。彼に言わせると「大阪弁をしゃべる最初に出会った生身の人間がナガトモさんだったんですよ」と、ことあるごとに言っていた。お酒が好きで最近は10人程の仲間(作家の角田光代さんはじめミュージシャン、デザイナー、編集者…達)でカレーと日本酒の会「安西カレー部」(彼は部長である)なる集まりがあり、ボクも一員としてよく食卓を共にした。お洒落な会話と博識が皆の人気であった。TVでは小山薫堂氏と映画についての話が盛り上がり、小説も賞を獲るほどの実力である。イラストレーションは言わずもがな、ますます油が乗ってきた時の訃報であった。これからもっと楽しい酒を飲みましょうと言っていた矢先のことである。ほんとに残念で仕方がない。

もうお一方は朝倉摂先生である。ボクが通っていた「桑沢デザイン研究所」でデッサンを教わった。熱心な先生であった。思えば30歳代の後半だ。ある授業の時、やおらスカートをたくし上げ、真っ白な太モモを手で叩きながら「ナガトモ、良くみなさい。ここ、ここの筋肉が描けていない」と叱られた時がある。女盛りの自らの太モモを教材にする発想は熱血教師のなせる技として特級もののことだ。ニキビ面の学生(ボク)は筋肉を知るどころか女の肉体を間近で見ただけで興奮してしまい、脳内は真っ白な状態であった。晩年は六本木のお蕎麦屋さん「ホンムランアン」でよくお目にかかり、ボクの姿を見つけてはわざわざ席まで近づき「元気ですか」と声を掛けて下さっていた。舞台美術の話をお聞きしたかったなぁ。「巨星落つ」でポッカリ2つの穴がボクの胸に空いてしまった。

コメントする

*必須

*必須 Emailアドレスは公開されません