【ウィークリーネタ】 毎週月曜日更新中!

2016.10.10

青山の思い出。

長友啓典(クリネタ編集長 / アートディレクター)

凄い美人の歯医者さん(この一言に弱い)からトモさんの「成功する名刺デザイン」の本を見て是非名刺を作ってほしい、と友人を介して頼まれた。名刺は気に入ってもらい、青山という激戦区での診療所は人気のスポットとなった。とりわけ子供達がマークを気に入り、嫌なはずの歯医者さんに好んで出入りするという話は、嬉しい限りである。

ご無沙汰していた小林瑠美先生から久し振りにお電話を頂き、友人と食事のお誘いを受けた。青山は外苑前近くのフランス料理「プレヴナンス」であった。店名はフランス語で「心づかい」というように、まさしく日本でいうところの「おもてなし」の気持ちがそこかしこに見受けられる落ち着いた気持ちの良いお店である。シェフの心を込めたお料理に感激した。

青山といえば、数々の思い出がある。1964年の東京オリンピックのプレスセンターが出来る前の都営住宅にボクは住んでいた。丁度、デザイン学校を卒業したころの話だ。今は通称「キラー通り」と言われている道路も舗装されていないし、雨が降れば泥んこになる程の道であった。かと思えば、青山通りの中ほど青山2丁目あたりに24時間やっている高級スーパーマーケット「ユアーズ」があった。芸能界のスターさんと何気にすれ違ったりするのが「流石TOKYO」と驚いた記憶がある。作家安部譲二さんが「塀の中」に入る前にお店をされていた、足繁く通ったそのお店は青山3丁目にあった。浅井慎平さん、操上和美さん、糸井重里さん、日暮真三さん、話の特集、デルタモンド…アーティストにプロダクションに出版社……流行を編み出す人達が集まっている「セントラルアパート」が光り輝いていた。

数十年前、阪神タイガースが神宮球場で優勝を決めた日にボクは目撃した。秩父宮ラグビー場では本場ウェールズ世界最強のオールブラックスを目の当たりにした。

青山三丁目の交差点角に憧れの「VAN」の本社があり、その階上には我が師匠田中一光先生の事務所があった。そこは、夜中でも灯りが消えることのない忙しさで、青山の燈台と言われていた。まさしく青春を謳歌していた。

あの頃から50年が経つ。また東京オリンピックが始まろうとしている。国立競技場のコンペ、エンブレムの審査、何かと世知辛い世の中になってしまった。

コメントする

*必須

*必須 Emailアドレスは公開されません